発掘された石造りの浴槽があった古蔵温泉
 『黒石温泉郷十湯』との名称は黒石や近郊の人々にも馴染みがない呼称であるが、十湯というのは区切りがよい。
 さて、この中でもほとんど知られていないというより、全く知られていない『古蔵温泉』とは、何処にあったかというと、二床内にある大穴貯水池から数百メートル、要温泉(廃湯)に向かう途中にあり、この近辺は自然崇拝の遺跡が多く大穴遺跡とも称され、この川べりに位置した温泉を称していたようである。
古蔵温泉の発掘浴槽(山形郷土物語:挿絵)
 早くからこの地に着眼して「湯の沢」の山腹に沸く温泉であったのを、二庄内川の岸に引いてコンクリートの浴室を建てた温泉の主人は、鎌田力次郎という人で大正12年8月に湯の分析を青森県に依頼したところ、湯の成分は二庄内温泉とほとんど同じであったそうである。
  昭和2年の夏、鎌田氏が前記古蔵温泉の浴場を設置する際に、山の傾斜地を崩したところ、人によって加工された岩石の浴槽が発掘されたそうだ。郷土史家佐藤雨山氏(故人)よれば、造られた年代は全く不明で三百余年前に、この地で遊山した花山院忠長郷が入浴したものではないかとの事である。
 発見された時の形は楕円形で幅4尺長さ5尺余、深さは1尺4〜5五寸程、長年の間に浴槽の縁が崩れたと思われる箇所があるから、当時は2尺位の深さはあったであろうと推察している。
 いずれにしても1人での入浴用としてはご覧のとおり恰好のものらしく、川に向いた下方には湯の排水口があり、湯は山の上から自然に流下するように出来ていたそうだ。
「山形郷土物語」の挿絵(上記)にある発掘発見された岩石を掘りぬいて作られた石造り浴槽のヒゲの入浴者は、大穴遺跡発掘調査に係わった学者であろうか喜田博士という方である。
 挿絵から察するに、今どき流行の源泉かけ流しであろうことは間違いない・・・。
(古蔵温泉、今はありません・・・)
注:書籍によって「古蔵」、「古倉」との名称を使用していますが古い物で使用している名称を使用しました。