|
こけしの道を行こうと決めたのは22歳の時です。祖父は、私には何も言いませんでしたが「頼りないけど、身内がやることになったのは良かった」と言っていたそうです。盛秀太郎の孫、というプレッシャーは確かにあります。ことに祖父の後継者だった叔父の奥瀬鉄則が亡くなってからは、盛秀こけしを継承するのが私一人になってしまいましたから。 祖父の仕事は、とにかく丁寧でした。その念入りな仕上げは、絶対に守っていこうと思っています。私の役目は、この盛秀型を次の世代に引き継ぐことですから。こけし作りを楽しむところまでは、なかなかいきませんね。もっと素直に、大胆になれればと思っているのですけれど。
|
津軽こけし工人会編 「やさしさの匠」より(平成6年刊行) |
|